悪を避けて善を行い、 平和を求めて、これを追え。
平和をつくり出す人たちは、さいわいである、 彼らは神の子と呼ばれるであろう。
悪を離れて善をおこない、 やわらぎを求めて、これを努めよ。
すべての人と相和し、また、自らきよくなるように努めなさい。きよくならなければ、だれも主を見ることはできない。
こういうわけで、平和に役立つことや、互の徳を高めることを、追い求めようではないか。
キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。あなたがたが召されて一体となったのは、このためでもある。いつも感謝していなさい。
神の国は飲食ではなく、義と、平和と、聖霊における喜びとである。
あなたがたは、できる限りすべての人と平和に過ごしなさい。
愛する者よ。悪にならわないで、善にならいなさい。善を行う者は神から出た者であり、悪を行う者は神を見たことのない者である。
人が、なすべき善を知りながら行わなければ、それは彼にとって罪である。
そして、善を行うことと施しをすることとを、忘れてはいけない。神は、このようないけにえを喜ばれる。
また、良い行いをし、良いわざに富み、惜しみなく施し、人に分け与えることを喜び、
だから、機会のあるごとに、だれに対しても、とくに信仰の仲間に対して、善を行おうではないか。
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、
肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである。
そこで、善をしようと欲しているわたしに、悪がはいり込んでいるという法則があるのを見る。
このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。
わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、彼らを悪しき者から守って下さることであります。
わたしたちを試みに会わせないで、 悪しき者からお救いください。
こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。
悪をさけて、善を行え。 そうすれば、あなたはとこしえに住むことができる。
すなわち、わたしの欲している善はしないで、欲していない悪は、これを行っている。
しかし、あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ。そうすれば受ける報いは大きく、あなたがたはいと高き者の子となるであろう。いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。
そこでイエスは彼らにむかって言われた、「あなたがたに聞くが、安息日に善を行うのと悪を行うのと、命を救うのと殺すのと、どちらがよいか」。
暗黒と死の陰とに住む者を照し、 わたしたちの足を平和の道へ導くであろう」。
貧しい人たちはいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときにはいつでも、よい事をしてやれる。しかし、わたしはあなたがたといつも一緒にいるわけではない。
悪を離れることは正しい人の道である、 自分の道を守る者はその魂を守る。
いつくしみとまことによって、とがはあがなわれる、 主を恐れることによって、人は悪を免れる。
自分を見て賢いと思ってはならない、 主を恐れて、悪を離れよ。
主よ、善良な人と、 心の正しい人とに、さいわいを施してください。
そして人に言われた、 『見よ、主を恐れることは知恵である、 悪を離れることは悟りである』と」。
主はサタンに言われた、「あなたは、わたしのしもべヨブのように全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかる者の世にないことを気づいたか。あなたは、わたしを勧めて、ゆえなく彼を滅ぼそうとしたが、彼はなお堅く保って、おのれを全うした」。
ウヅの地にヨブという名の人があった。そのひととなりは全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかった。
主の目は義人たちに注がれ、 主の耳は彼らの祈にかたむく。 しかし主の御顔は、悪を行う者に対して向かう」。
エフタはまた使者をアンモンの人々の王につかわして、